生きてるといろんなことがあります。
ちょっと人には気軽に話せないようなことも。
それは普通に捉えると不幸だったり不運だったりするようなこと。
一昔前のスピだったらそれはカルマだとか自分が引き寄せたとか先祖の因縁で
説明づけられてしまうようなこと。それを何とかするためにグルとか高次の存在とか
天使とか神とかを必要としてしまうようなこと。でも決してそれだけでは救われないようなことです。
例えば、それは身内の人間の不慮の死だったり、大病を患って生死の境目に堕ちてしまうことだったり
力ずくのレイプや暴力で虐げられることだったり、仕事も財産も奪われて路頭に迷うことだったり、天変地異ですべてを失うことだったり。。
そういう地球上で生を受けた人間にしか体験できないような壮絶な出来事を
どうしても良い悪いやポイジティブやネガティブを感じることしかできない感情でもなく
どうしても過去の後悔や罪悪感や未来への不安によって考えることしかできない思考でもなく
どうしても自分と他者の支配、依存、争いなどの関係性と知覚することしかできない肉体でもなく
それらの二元性、時間、分離の現実をアトラクションとして捉えている無条件の「わたしはある」に目覚めること。
それは、この時代に生きているすべての人間の魂がこの世でしたいこと。
それは生々しい「生」を生きる体験によってしか得られない目覚めであり
単なる方法論ではなく、それを体を張って実践するこの世の生き方であり
同時に、感情でも思考でも肉体でも捉えられないからこそ「わたしはある」の実在への信仰としか言えないようなものですが、その目には見えない実在を「神」と呼ぼうが「空」と呼ぼうが
それは決して、他人事でもなければ、机上の空論でもなければ、特定宗教の限られた教義とされるものでもないのです。
読み過ごしてしまわないように、もう一度、生々しくリアルな現実を捉えて無条件に観てみましょう。
例え身内が自殺しても、末期ガンの宣告を受けても、性暴力の被害者になっても、破産して一文無しになっても、大震災でライフラインが断たれても
それを感情、思考、肉体を超えた「わたしはある」が、すべてを自分自身に無条件に与え
すべてを自分自身から無条件に受け取り委ね、すべてが自分自身と無条件に交わっている
「無条件の愛」の眼差しから観ることを選択し、その懐の中にに自らを委ねて生きてみる。
それが、この世のアトラクションを生きる人間がその条件付けから脱出して無条件の自己充足に満たされた現実世界を地上に築くために敷かれているただ一つの道であり、
あたなが望み求めさえすればすでに与えれていることをすぐに思い出せるような無条件の神からのギフトなのです。
なぜ、それがギフトなのか?は受け取れば誰にでも解るように種明かしがされ自分が解き放たれ目が覚めるからです。
父と子と精霊の無条件の愛のトリニティ♬