よく「委ねる」ことが大切だといいます。

それは自分を超えた大きな存在や力の働きと流れに従順になることとも言えます。

従順というと何やら前時代的な香りもしますが(笑)

それでも確かに、人生をすべて自分で考えて決めて動かそうとした時に、必ずその限界や無力さ知ることになり、結局は委ねるしかない!に行き着きます。

そこで「委ね方」にはレベルがあるという話をすると、

よくあるのは、自分のやりたいことや叶えたいことに対して「自分が出来る最大限をやった上でその結果は委ねます。」という標準レベルの委ね方。

さらにもう一段踏み込んで、やりたいことや願望の実現手段として「委ね」を使うところから進んで、「そもそも何をするか?それをどうやるか?やった結果どうなるか?までをすべて委ねます。」というハイレベルな委ね方。

前者はできても後者はなかなか出来なかったり、自分がなくなるみたいで怖かったりする人が多いですね。

でも、実は周りから見るとこのハイレベルな委ね方ができている人、そこでちゃんと何かを形にしたり結果を出せている人は、ただ単に委ねているだけではないのです。

つまり、与えられたものをただ無条件に受け取り委ねるだけではなく、そこにもう一つ大切な要素が入っています。

それは

「交わる」ことです。

交わるというと、溶け合うとか一つになるというイメージがしますが、もっと分かりやすく言うと

「相手の観点になる」

ということです。

つまり受け取り委ねる時に、同時にそれを与える側の観点も見ていること。

その前提として、与える側もちゃんと受け取る側の観点を見てくれているという信頼関係もあります。

そうなると、双方にとって与えるのも受け取るのもどちらも自分の観点になるから交われるのです。

これを人間と神の関係でいうと、単に神が与えるものを無条件に受け取り委ねるだけではなく、同時に与える側の神の観点も見えている状態です。

だから、それは相手の観点を無視した単なる神任せや、盲信や、隷属とはまったく違う状態なのです。

そして、その前提としてやっぱり神も受け取り委ねる人間をちゃんと人間の観点を見てくれている。ちなみに、それを象徴する存在がイエスキリストなのです。

ここで、キリストの話は長くなるので割愛しておきます(笑)

なので、全てをただ委ね切ることがなかなか出来なかったり怖い人は、この「交わる」観点に目覚めてみてください。

それは、いわゆる「思いやり」という感情や、「相手の立ち場で考える」という思考では留まらず、自分と相手のカラダが入れ替わりながら一つになってしまうぐらいの強い体感を伴うものです。

そこから次の時代のキーワードである「共同創造」のリアリティが自分の現実となって動き始めます。

これは、もうスピリチュアルな領域とかだけの話ではなく、家族やパートナーとの関係から、仕事やビジネスのやり方や、社会や世界の諸問題の今後にまで大きく影響する新しい時代の流れです。

つまり、自分を超えた存在としての神をただ崇め怖れていた古代から、自分がやりたいことをやってその結果を神に丸投げする、もしくはすべてを自力でやろうとする時代を経て、

その最終形である神と自分が一つに交わりながら共同創造することにチャレンジする時代に突入しようとしています。

そのために、肉体の分離を超えて無条件の交わりが起きるエネルギーであるボディラブもすでに地上に降ろされています。

さあ、2018年から始まる共同創造の時代に向けての最終準備を急ピッチで進めていきましょう!

無条件に与える父なる神と、無条件に受け取り委ねる子なる神と、無条件に交わる精霊なる神の、無条件の愛のトリニティ♬