無条件の愛とは、見返りを求めない無償の愛や、自己犠牲的な愛とは違います。
どう違うかをちゃんと説明すると長いので簡単に言うと、
無条件の愛とは、自分を相手に捧げたり相手のために犠牲になる物語の主役になることとは違うものなのです。
つまりは、例え相手が神であったとしても同じことで、神の観点を見もせずに自分を捧げるとか犠牲になる物語に酔ってるだけだと、そこには無条件の愛の交わりは生まれないのです。
なので!
もしあなたが神と仕事をするのなら
そこにちゃんとリターンを求めてください。
でもそれはただ経済的に豊かになるとか不幸から幸せになるというようなリターンではなく
そのために投資するのも自分のお金や時間ではなく
毎年毎年ただただ使っては消費されて必ず最後は誰でもゼロになって破産して終わりになるもの。
そうです。「限りあるこの命」です。
神と仕事をすることは、この命を神に預けたり投資して運用してもらうということです。
そもそも、必ず消費して終わる命は自分のモノや財産として捉えるには儚すぎます。
もちろんそこには選択の自由があります。
ズバリ言えば、命を消費するのか投資するのかの自由意志による選択です。
自分の考え方としては、もし命を神に投資することができて、そこに人類が今まで一度も成功したことのない
「神との無限の命の共同創造」が成就される可能性が0.1パーセントでもあるとしたら?
そこに、これまで繰り返してきた輪廻転成するだけの命の消費サイクルを越えれる可能性があるなら?
やはり答えはイエスなのです。
それだけで充分以上のリターンがあります。
その投資による人生のデメリットがあったとしても、どのみち消費してゼロになって終わるだけの命なので、投資リスクはゼロという判断になります。
はい、そうです。これは神との仕事を投資ビジネスとして捉えてやっているということです。
だから本気だし、やれるやれないを考えるより、仕事としてやる上でどう取り組むか?だけに集中できるのです。
どうでしょう?世間からすると少しというか相当にズレていることは重々自覚しておりますが笑、少なくともこの5年間はそうやって生きてきたし、これからも変わらないです。ありきたりに死ぬ日が来たとしてもです!
そんな生き方もあることをご参考までにお伝えしました。ぜひご一考くださいませ。
あ、ところで八ヶ岳で開拓が始まったトリニティランドを整地していたら
聖水が湧き出しました。
そこにはフクロウが巣立った木があって、聖母マリアから聖水が湧きだすことを予告されていた場所でした。
人類が新たな時代のステージに突入することを、祝福している「マリアトリニティの聖水」です。
水に数滴入れて飲んだ自分は、復活して次のステージへと進んだようで、その勢いでこの記事を書けたのです。
父と子と精霊の無条件の愛のマリアトリニティ♡