もし人間に全能のエネルギーが使えるとしたら、それは一体どんな人でしょうか?

全能のエネルギーとは、無条件の神自身から見た神のエネルギーです。

この世の現実を縛っている二元性や時間や分離の条件付けを超越するエネルギーであり

自分や他者の人生を真に魂から充足させる「無条件の愛」にもとづくエネルギーであり

人間の自由意思を尊重しつつも圧倒的な力で目覚めへと導いていくエネルギーです。

よって、このエネルギーを使えるのは「無条件の神」に覚醒している人だけになります。

それは神を、闇への恐れや、罪と罰や、孤独や病いや争いの苦しみに条件付けることなく、そこに寄り添う子なる神と共に、ただ無条件の愛を受け取り委ね交われる人です。

解りやすく言えば、神との関係性や信仰に二元性や時間や分離の条件付けがあったり、それが原因となって神をブロックしている人には全能のエネルギーは使えません。

神を、自分と分離させ崇め恐れたり、多神教の神々へと分離させて馴れ合ったり、チャンネルを選ぶように便利に引き出すツールとして神を捉えている人も同様です。

そして、「無条件の神」への覚醒を自由意志で選択することなく、ただこの世の現実のアトラクションを自分の思い通りにできるパワーを求めているだけの人にも全能のエネルギーは使えません。

そういう人たちは、自分と分離した現実をコントロールするために、同じく分離した存在から強力なエネルギーを求めているだけです。

自分が感じたり理解したり知覚はできなくても全てが在る「無条件」と、そこに真の自分が存在していることに目覚めないままでは、仮に強力なエネルギーを手にしても、自己逃避、依存、中毒の状態に陥ってしまいます。

父と子と精霊の神の無条件の愛にもとづく全能のエネルギーは、人間が自分や他者をありのまま愛せて、愛されて、愛で交われる奇跡を神と共同創造するためのエネルギーです。

今まで、この地上で無条件の神の全能のエネルギーをフルに使うことができたのは

ただ一人、キリストだけです。

そのキリストが神の子としての使命を全うできたのは全能のエネルギーを使えたからです。

そしてそれを親子関係を超えてただ無条件に観る聖母マリアの眼差しがあったからです。

しかし、キリストはそれを地上の王国を築くことや人の王になるためには使いませんでした。

それは父なる神の御心が、この世の闇と罪と孤独のアトラクションから人間を脱出させて、それに苦しむ人間が感情と思考と肉体の狭間に実在する「わたしはある」にやがて目覚める日に、

かつてモーゼに名を告げた父と子と精霊の神の「わたしはある」とともに「無条件の愛の神の国」を地上に共同創造することだったからです。

その共同創造の時代の始まりを数年後に控えたいま、巷ではキリストの再臨が望まれるでしょう。

しかし、いまの時代にあの時と同じように水をワインに変えたり、病いを瞬時に癒したり、死者のうちから復活したとしても、それで人々が無条件の神に本当に目覚めるでしょうか?

自分と分離した他者のキリストを求めるのではなく個を超えた「神の子のわたしはある」に目覚める時に、無条件の神の全能エネルギーを使って生きるあなたの使命が始まるでしょう。

父と子と精霊の無条件の愛のフルトリニティ♬